大相撲の歴史と未来

地位の変遷も注目の大関

寄り切り

現在の大相撲番付では、大関は横綱に次ぐ地位になっていますが、もともとは最高位の地位でした。この歴史は明治時代の中期までは続いていたため、寛政の黄金時代に活躍した谷風梶之助には、特別な称号が与えられていたことになります。雷電は無類の強さでありながらも、横綱の称号を与えられることがなかったため、大相撲の歴史では長年の謎となっています。

明治時代の後期になると、横綱が正式な地位として番付に記載されるようになり、大関は2番目の地位として定着しました。それからは横綱への登竜門となりましたが、極めて難しい立場でもありました。北の湖や大鵬のように、スピード出世で横綱に駆け上がった力士は少数で、陥落や角番を繰り返して苦労した力士が大半です。

横綱に昇進することができなくても、名大関として歴史に名を残した力士もいます。有名なのは輪湖時代に活躍した初代貴ノ花で、在位50場所の大記録を残しています。平成の時代には小錦や魁皇も活躍し、横綱に負けないほどの人気を集めていました。