大相撲の歴史と未来

大相撲の歴史 今後の横綱

四股

日本の国技としても知られており、日本国内だけではなく海外の人からも人気を集めているのが、大相撲です。日本での相撲の起源は、その年の農作物の収穫を占う際の儀式として行なわれたものであると言われています。その後、宮廷の行事となり、江戸時代には相撲を職業とする人たちがあらわれました。現代のような大相撲の興行が行なわれるようになったのも、江戸時代であると言われています。

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長い歴史の中で、相撲はルールが定められてきました。力士の最上位である横綱は、日本人がほとんどでしたが、最近では、日本人以外の力士が横綱となる事も多くなりました。力士の多国籍化は、今に始まったことではありませんが、確実に増加していると言えます。

一度は人気が低迷しましたが、徐々に人気は戻ってきており、若い世代にも興味を持つ人が多くなってきています。今後は、力士はもちろん、相撲を観戦する人も外国の人が増えてくるのではないかと考えられます。

土俵

大相撲の歴史 スター力士

大相撲 取り組み

大相撲は歴史の転換点で多くのスターを輩出してきたことで、時代ごとの低迷期を乗り切ることができました。江戸時代には寛政時代の黄金時代があり、当時は谷風や雷電などの強豪力士が人気を集めていました。江戸時代のスター力士は、全国の大名がパトロンの役割をして支えていたのが特徴です。

明治から大正時代にかけては、梅ヶ谷と常陸山が活躍し、寛政以来の黄金時代と呼ばれていました。昭和初期の大相撲で活躍したのは、常陸山と並んで角聖と呼ばれた双葉山でした。双葉山が作った69連勝の記録は、現在も大相撲の歴史に残る金字塔となっています。

戦後間もない時代になると、栃錦と若乃花が台頭し、栃若時代と呼ばれるようになります。その次には大鵬と柏戸が登場しますが、この頃になると大相撲のテレビ放送も一般的になったため、人気も爆発的に広がりました。昭和の後期には輪島と北の湖がライバルとして活躍する一方で、千代の富士や隆の里も台頭します。平成になると、若貴兄弟がスター力士として絶大な人気を集めるようになりました。

大相撲の歴史 これからの展望

江戸時代より続く伝統行事、現在では日本の国技となっていますが、その元の歴史を辿ると1500年以上にもなります。大相撲は古くは古事記・日本書紀に残る力比べ、のちに農作物の収穫祭りの儀式という形になり、宮廷行事として300年続きました。戦国時代には戦闘訓練の一環として盛んに行われるようにもなり、江戸時代には観戦される形となっていきました。大相撲は、伝統芸能である歌舞伎と共に一般庶民も楽しめる娯楽の一つという認識をもたらす形に進化しました。

昨今はさまざまな国出身の力士も多い大相撲の世界で、昨年あたりから日本人力士の活躍も目立ってきています。これからの展望として、貴乃花引退2003年より早14年が経ちましたが、大関琴奨菊の優勝をはじめ、豪栄道の全勝優勝、稀勢の里の横綱昇進など、モンゴル出身力士に押され気味だった流れが、新しいものへと変わってきていることが実感できます。とは言え、白鵬の横綱を維持する精神力は、現在のところ誰も真似ができないすごさがあります。

大相撲

力士の年収や懸賞金

力士

力士が受け取る収入には様々な種類のものがあります。月給やボーナス以外に、本場所特別手当や出張手当、力士補助金、力士報奨金、懸賞金などがそれに当たります。

力士の年収は番付や成績によって異なり、横綱の場合は4,000万円程度、大関の場合は3,500万円程度、関脇や小結の場合は2,500万円程度、平幕の場合は2,000万円程度、十両の場合は1,500万円程度となります。

懸賞金は注目の取組ほどたくさん付く傾向にあるため、注目度が高くなる横綱戦や大関戦の場合は20本以上の懸賞金が付くこともあります。月給とは違い、懸賞金は臨時収入のようなものですので、懸賞金が付けば付くほど力士のモチベーションもアップし、白熱した戦いになります。

格闘技やテニスなどにおける賞金と同じですから、相撲は実力主義の世界であるということがわかるのではないでしょうか!

力士の年収

強い力士は年収も高いですし、弱い力士は年収も低いです。力士補助金は番付が違っても一律ですが、ボーナスや本場所特別手当、出張手当は番付が上になるほど高くなります。
また、平幕力士が横綱に勝って金星を重ねていけばその分年収もアップします。加えて、CMやテレビ番組に出演している人気力士も当然収入は高くなります。

このように幕内力士はそれなりに稼ぐことが出来ますが、十両から陥落して幕下になると給料はゼロになるという厳しい一面もあります。